5月 緑柱石と南海のラグーン
皐月(さつき)は深呼吸した。
乾いた空気が鼻孔の奥にながれて体中の空気の湿度を半分は消し去っていった感じがする。
南カリフォルニアは、日差しが日本より強くサングラスが必要だ。
澄み切った青空とサンタモニカの海を見ながら、先月までいたバリの海を思い出していた。
日本と違って赤道直下のあの島は、日本の夏のように熱く湿気も結構ある。昼に外を出歩くのは
結構体力がもっていかれる。すぐにカフェに入って休まないと体が持たない。
南国のカフェを吹き抜ける風は周りの田んぼの景色と相まって気持ちよさが先に来る。
日本より暑苦しさを感じることがない。「ヤシの木が田んぼの中にあるのがいいのよねえ」。
幹線はアスファルトでも裏道には土の道が多く、南国のヤシやカラフルな花の木の緑が暑さを和らげてくれている。
バリで買ったTシャツは直ぐに汗ばんでくる。肌ざわりはいいのだが綿生地が薄いせいか吸水性はいまいちだ。ラグジュアリーホテルに泊まれば、基本プールがあるので海まで出なくてもよい。
泳げない皐月にはスキューバで海の中を亀やイルカやマンタと泳ぐなんて選択肢はない。
でも熱帯魚のなかでプカプカ浮きながら位は経験してみたい。
「昨日のレンボンガン島でのシュノーケリング、楽しかったな」。
サヌールエリアからでる船でのバリ島とレンボンガン島への離島とマリンアクティビティは、近場であるが結構楽しめるツアーだ。
実はこの海峡は意外と流れがはやく潜って流される海難事故もなんどか起きている。
実績があり、スタッフがちゃんとしているツアーを選ぶことが大事で全く泳げない人もちゃんとかまってくれるところだと安心して魚の群れを見ていられる。
昼休憩のあとマングローブをカヌーで進んでいくのものんびりしていい。
この辺りのマングローブは若く危険なワニなどはいない。緑のラグーンはエメラルド色でカヌーから見るマングローブ林も明るい。たまに海に入ってサンゴ礁を越えながら船を進める間も晴天が続くのどかな一日だった。
一緒にマリンスポーツを楽しんだ友達が、デンパサール市の宝石市場へいきエメラルドを買ってきたと言っていた。帰国通関時に皐月は憂鬱だった。
兄の悠介が5月の連休前にタイから帰ってくると伝える母からのメールを何度も見てはため息がでる。
小さい頃から大人しい性格で京都大学に進んだ後、突然中退してタイに行くと言われた時親はカンカンだった。
暫くして宝石のバイヤーになってそれなりに成功した雑誌の記事を送ってきた時、それを嬉しそうな顔で読んでいた母の顔に少し怪訝な色が浮かんだ。そこにはインタビューを受ける綺麗な女性が映っていた。「会社の社長さんかしら。」悠介の顔を写真のスタッフの中から探したが、それらしい顔がない。もう一度見渡した後、母の目が文字通り飛び出すように大きくなり突然気を失った。
びっくりした皐月は、母をそのままソファーに寝かせしばらく横にすると救急車を呼んだ。
待っている間、皐月も送られた記事に目をやったが、最後のページの現地から写真を送ってきたのを見た時なぜ母が気を失ったか気づいてしまった。インタビューをうける社長と思われる人物は、皐月のよく知る人物を彷彿させる。これは、兄だ! 兄の面影が残っていた。
母は一週間寝込んでしまった。
4月の終わり、兄の帰国便が羽田につくということで、皐月は出迎えに空港にいった。
到着ロビーで待っていると、写真で見た女性が前から歩いてきた。周りがどこのモデルか女優かと振り返る。
『うわー、なんてスタイルいいの』
「悠介兄さんお帰り。荷物は?」
「検疫で申告が終わったら先に銀行の貸金庫によってタクシーで帰る。皐月も付き合って。」
タクシーで皐月は気になっていたことを尋ねた。
「声変わったんだね。胸私より大きくなって。もしかして?」
「ええ、向こうで完全に性転換手術したの。もう女性よ。今回の帰国は戸籍の変更手続きをするためでもあるの。
これからは“悠子”姉さんて呼んでね。」
写真をみたあとメールでやり取りしていたので、自分は気持ちの整理はできていた。
「私、向こうに着いた頃ジュエリーの仕事に関わって最初は何度かだまされたわ。しばらくしてから鉱山で採掘の仕事もした後に宝石の勉強をして鑑定士になった。そのころから石を持つと真贋ってなんとなくわかるようになったのよ。その実績を認められて会社も大きくできた。今回日本でジュエリーショーも開くのよ。あなた宝石ショップに勤めているのでしょう。手伝ってくれる?」
そういって悠子は、お土産といって緑色の3つのルース(裸石)を見せてくれた。気に入ったものをネックレスか指輪にしてあげる、どれがいい?」と聞いてきた。
出された石は2ct位あるルース(裸石)でどれもきれいな緑色だった。
貸金庫を借り大方の宝石をしまうと、一度明るい白い現代風のカフェに立ち寄った。
そこで改めて、さきほどの石選びをしろと言われる。皐月も仕事柄石には多少知識がある。
「この一番目の石は色が濃いしインクルージョンも少ない。含侵処理したエメラルドかしら。
二番目は色が海の色みたいな薄さできれいな四角いエメラルドカット多少インクルージョンがあるけど透明できれい。
三番目は、同じエメラルドカットでインクルージョンがみえるけど濃い緑。
変に軽かったりするもの全くの傷なしじゃないからちゃんとした石みたいだけど2番目かしら。」
「どれがエメラルドだと思う?」
「全部エメラルドなんじゃないの?」
「ふふ、まだまだね。私鉱山でずっと石の声を聞いてきたのよ。最初に石の自己紹介を聞いてみる事ね。
次にお化粧している前の素顔を見て、最後に石の性格よ。」
「えーそんなのは鑑定機使わないとわからないわよ。」
「エメラルドは、ベリル鉱物でしょ。コランダムのサファイアともちがう。ガーネット、クロムダイオプサイト、トルマリンとは組成がちがう。持って帰ってよく見てみなさい。」
ケース変えてわからなくしちゃうかも、と皐月はわらった。
服変えたってわかるわよ、たとえ別の石をいれてもね、と冷たい目で悠子はいうと石を渡してきた。
ホテルの一室で悠子は明後日の展示会に思いを馳せていた。
「いよいよあさってね。ジョージ待ってなさい。」
展示会場は華やかな光で着飾った人々でにぎわっていた。
悠子のブースは雑誌に載ったせいで話題になっておりカメラマンが集まっている。
スタッフは会社からの1名に皐月ともう一人、前日自分だけで不安だからともう一人を呼んでいい?と皐月がお願いし顔合わせをした子だ。
「初めまして、留依です。」とあいさつされた悠子は一目で気に入り、優しそうに眼を細めた。
「悠・・・、姉さん、この子もいい?」不安そうに聞く皐月に
「ええ、この子ならいいわ。」
先ほどいろいろな赤いガーネットだ、と見せた時、混ざったルビーとサファイアを「違う子が混ざってます」と一目でより分けた留依に「なぜそう思うの?」と聞いたのに即答で、
「え、全然違うじゃないですか?」と不思議そうに答えた子だ。
皐月が、「よくUV判別しないでわかるわね。」というと「紫外線当てたってガーネットとはかぎらないわよ」
という留依に悠子は満足そうにうなずいた。
「同じガーネットだって産地が違えば別物でしょ。例えばこれとこれ」という留依を悠子は驚きの目でみた。
たしかに産地毎の特徴はあるが、見ただけで判断するのは非常に難しい。
自分が長年タイにいる恩人の師匠からうけた修行と経験でわかる事を簡単に言い当てられて、この子の感性は天性のものだとわかる。
「トメちゃ・・・留依は石に関しては特別なの。以前私が勤めていたお店で盗難事件があったとき私が疑われたんだけど、その場で解決して助けてくれたのが彼女なの。」
「皐月、いい友達もったわね。」
会場から数時間経ったころ、入口が少し騒がしくなった。
有名トレーダーのジョージだった。
何人かの知り合いに挨拶を済ませたあと悠子のブースまでやってきた。
「ご活躍は雑誌でみたよ。君みたいなきれいなお嬢さんが活躍しているのはうれしいね。冴えない素人野郎がいっぱしの業界人気取りで仕事しようとする子もこの業界も多いからなあ。」
「ぜひいくつか見ていってください。みなさん、今日は特別に鑑定チャレンジをやります。
今日商品をご購入いただいた方の中でこの宝箱に並べた石の名前を書いて見事全問正解の方には、こちらに用意したルース(裸石)からどれか一つ気に入ったものを差し上げます。」
会場が「オー」とざわめいた。
悠子はこの業界ではちょっとした有名人だ。彼女のセレクトのなかに櫃の悪いものがあるわけがないとみんな知っているからだ。
「どうです? 何か買っていただけたらジョージさんもチャレンジできますよ」
「いやいや、せっかくのイベントなのに私が参加したら興ざめだろう」
するとジョージと一緒に来ていた若い男性が声をかけた。
「じゃあ、僕があそこにあるダイヤの指輪から一点買います。今度結婚する彼女にぜひ“ブルーフェアリー”の指輪買ってきてと頼まれていたんです。
“ブルーフェアリー”は悠子の会社が展開するジュエリーブランドだ。その高いデザイン性はアメリカや日本の一流企業に勤める若い女性の間では人気が高い。
悠子はにこやかに微笑むと、その男性を案内し展示されている指輪を出してきていくつか見せた。
「今ダイヤはお買い得ですよ。人工ダイヤが出回っているので結構お手頃価格でご購入いただけます。」
もちろん弊社の鑑定付きのものには天然石しかありませんけどね、とフフフと笑いながら数点品物を薦めた。
その中からこれがよさそうだと男性が選ぶと、悠子はお礼を述べ商品を皐月に包装させた。
「では、鑑定チャレンジはどうされますか。ご自身でもけっこうですよ」
「いえ、せっかくだからジョージにやってもらおうと思う。おねがいできますか。」
ジョージは責任もたないよ、まあ間違えようがないけどね。と言い大げさに笑うと男性に向かい承諾した。
悠子の口元が少しだけ歪んだ。
「では石をご用意させていただきます。少しお待ちくださいませ。全問正解の暁にはその中から一つ選んでくださいね。」
そういうと、バックヤードにある箱をもってくるように皐月に耳打ちした。
しばらくして、皐月は5つの箱が入ったケースを持ってきた。
皐月はすべての箱をあけ中の石がみえるようにした。
「せっかくのプロの鑑定なのですから、産地も一緒におねがいしますわ、鑑定の成否には含めませんけど。道具をお貸ししましょうか。」
ジョージは一瞬はなじろんだ(鼻白んだ)が、「それくらいは朝飯前だよ。私を誰だと思っているのかね。」
というと、さっそく鑑定を始めた。
真剣にしばらく見ていたジョージだったが、フーと息を吐くと
「1から3と5はエメラルド。4はクロムダイオプサイド。2は人工だね。1と5はアジアだね。3はもしかしたらコロンビア?ではないようだが。。。品質は結構よいものがそろっている。3が一番かな。3をもらうよ。」
「さすがですわ、すべて正解です。」
まわりから大きな拍手がおきた。
「さあ、これは君のだ」、とジョージは男性にその石を渡した。
嬉しそうに受け取った男性になにか悠子が言おうとしたその時、留依がなにかを落とした。
留依の方を見た悠子は、突然目を見開いて硬直したように静止した。
皐月が留依をみたとき、皐月も同様に固まった。彼女の眼が怖いくらいの光を放ち、悠子を見つめていたからだ。
ジョージと男性は楽しそうに話をしながら別のブースへ去っていった。
閉店後、後かたずけをしている時も悠子と留依はなにもしゃべらなかった。
皐月もなにかを聞ける雰囲気ではなかった
一か月ほど経ったころ、皐月は留依と喫茶店でお茶をしていた。
その数日前に悠子は石の買い付けのためスリランカへ出かけた。
バスクチーズケーキを食べ終わると、皐月はおもむろに留依に聞いた。
「ねえ、先月のショーで最後になんで悠子さんをみていたの。なんか怖かった」
留依は
「そうねえ、悠子さんが”あのたくらみ“を実行していたら、石に嫌われちゃうんじゃないかって
思って。まあ・・・思いとどまってくれたみたいだから。」
「“あのたくらみ”って何?」
「またいつか教えてあげるわ。あなたが石の声を聞けるようになったら」
「それじゃいつになることやら(笑)・・・」
— (ジョージと悠子の因縁話はまた今度。。。)
—
【注】登場人物の名前や店名は架空のものであり、実在の人物、店舗とは全く関係がありません。


【誕生月石】
ここでは、登場する5月について
5月 誕生石 エメラルド、翡翠 ・ 誕生守護石 マラカイト
エメラルドはべリルという鉱物の仲間でクロムやバナジウムに由来する鮮やかな鮮やかな緑色をした石。
モース硬度7.5~8と比較的硬い宝石です。
インクルージョン(内包物・キズ)があるためオイル浸透処理がされることが多く、ノンオイルな石は希少性が高くなります。
誕生石を知りたい方は、こちらの参考サイトもどうぞ
【出展】366日の誕生石
https://differencee-jewel.com/daily-birthstone/
他参考サイト:
https://em-ring.com/category/birthstone/
https://www.8740.jp/birthstone/
星座の石:牡牛座の星座石は”エメラルド”、”翡翠”、”ローズクオーツ”、“マラカイト”。後半のふたご座の星座石は”アゲート(めのう)”、”トパーズ”、”シトリン” 等があります。

